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2006.07.24

紫陽花と雨の季節に贈られた娘

紫陽花ことば

<1994年6月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章>


 


陶器が陶器師と争うように、


おのれを造った者と争う者はわざわいだ。


粘土は陶器師にむかって


「あなたは何を造るか」と言い、


あるいは「あなたの造った物には手がない」と言うだろうか。


父にむかって


「あなたは、なぜ子をもうけるのか」と言い、あるいは女にむかって


「あなたは、なぜ産みの苦しみをするのか」と言う者はわざわいだ。


 イザヤ書四五章九、一〇節


 (協会訳)


 


 一九八四年六月八日。


 紫陽花色の雨音を聞きながらやってきた、私の初めての子供、紫音。


 その子はダウン症候群という病名のもとで、しかも瀕死の状態の中で生まれてきました。医師からは、二日間の命しかないと宣告もされていました。そんなことはまるで知らない私を気遣って、せめて名前だけでも私の望んでいたものにと、優しい主人のはからいで、すぐにその娘は紫音と名


づけられました。


 背後の篤い祈りの中で、奇跡的に一命はとりとめたも


のの、白血病も併発し、まるでガラス細工を抱えて生活しているような日々が続きました。そのように、出生後は筆舌に尽くせないほどたいへんでしたが、出生までもそれは大きな試練でした。


 私が妊娠三か月迎えたとき、交通事故に遭い、骨盤骨折等で二か月あまり身動き一つできない重体の身体になってしまったのです。出産に堪えられる身体でない状態で、それにもし出産したところで障害児として生まれる可能性もかなり高くなることも知らされました。当然ながら、家族や親戚、医師たちからは、出産をあきらめるよう強くうながされました。でも、神様から与えられたいのちを自分の意志一つで摘みとることは、私にはできませんでした。もし生まれてくることを許されないいのちならば、事故の時に取り去られたはずだと思いました。


 友人たちや教会の方々の深い祈りに支えられながら、私は神様からの御声を待ち望み、イザヤ書四五章九、一〇節により、出産に踏み切る決意をしたのでした。


 しかし、私の願いと神様のご計画とは異なり、その子は障害をもって生まれてきました。後から思えば、与えられたみことばはまさに預言でした。しかも、事故は神様からの愛の問いかけだったことを悟ることができました。最初から障害児を宿していた私に、「おまえは本当に私が託すその子を育てることができるのか」と・・・・・・。


 それから、さまざまな困難を経て十年が過ぎ、紫音も神様の御手の中で大きく成長しました。そして彼女を通して、神様は私たちの家庭にたくさんの祝福を与えてくださっています。たぶんこれからもいろいろな苦しみはあるでしょう。けれども、明日の心配は何もいらないと、主はいつも守り導いてくださり、私は平安です。そして、この紫音を私たちのところへお贈りくださったことを心より感謝しています。


 六月


 紫音と私の生まれた月


 紫陽花、雨、真珠・・・・・・


 とても好きな季節です。



 


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