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2006.07.31

野のゆりを見よ

10月ゆり


<1994年10月「いのちのことば」表紙によせて掲載された文章>

 野のゆりを見よ
 明日のことを思い煩うことなく
 今日一日を美しく装う
 神の命のままに
 (マタイ六章からの創作)

この箇所のみことばで、次女を宿している時に、神様からどんなに支えられたかしれません。

私の長女は、病弱な障害児としてこの世に生まれました。出生からしばらく彼女は生死をさまよい、なんとか一命はとりとめたものの、その後の育児では筆舌に尽くせぬ苦しみを通ってきました。

そのような後で、次の子供が生まれてくるのを待つ間、本当に心配でなりませんでした。正直なところ、また障害をもった子供だったらどうしよう・・・・・・と不安でした。

けれども、検査をして障害児と判明したところで堕胎する気持ちにもなれないので、祈って待つしかありませんでした。いかなる困難を抱えて生まれてこようとも、神様がお与えくださるものは最善だと信じつつ・・・・・・

そんな日々に神様は冒頭のみことばで私を強く支えてくださいました。

十月四日、私の願いどおりとても元気な娘が与えられ、初めて母親としての素直な喜びを知ることができました。女の子が生まれたら野夕梨と名づけようと決めていました。

双子を抱えたような育児は、想像以上にたいへんでしたが、なんとか乗り越えてきました。 この十月で、野夕梨も八歳になりました。小さいけれども思いやり深く、確かな信仰をもつ彼女の存在は、私たち夫婦や姉の紫音の大きな支えとなり、喜びとなってくれています。

半年ほど前、彼女の不注意から交通事故に遭ってしまい、その時に「神様、どうか命だけは助けてください」と必死に何度も祈ったそうです。幸いけがは後頭部を二針縫った程度ですみましたが、一つ間違えれば大惨事になりかねない事故でした。野夕梨がそれ以来、車にとても注意を払うようになったことは言うまでもなく、その事故がイエス様の存在を深く知るきっかけにもなったようです。

二つ年下でありながら、幼少期より弱い姉をとてもいたわり、大切にしてくれています。 これからの人生、苦しみがたくさんあるかもしれませんが、野に咲くゆりの花のように、明日を思い煩うことなく、清しく美しく成長してほしいと祈り続けています。

その野夕梨が憧れてやまない、私の大切な友人、福音歌手である森祐理さん、彼女もまさに神様が咲かせてくださった清らかな一輪のゆりで、主にある美しい歌声がますます人々の心に慰めを与え続けられるように願って、その活躍ぶりを嬉しく見守っています。


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