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2006.08.01

川のほとりの小さな教会の老夫婦

11月桔梗

<1994年11月「いのちのことば」表紙によせて掲載された文章>

私が初めて足を運んだ教会は、大分の小さな町の、川のほとりの小さな小さな教会でした。そこには、神学校を卒業なさったばかりの若く慈愛に満ちた牧師先生と中学生の少年、そして視力をなくしておられたおじいさんと、少女のような優しい眼差しを残したおばあさんの老夫婦がいらっしゃいました。

 主よ、み手もて ひかせたまえ、
 ただわが主の 道をあゆまん。
 いかに暗く けわしくとも、
 みむねならば われいとわじ。
 (「讃美歌」二八五番)

この老夫婦のことを思うと、ふとこの讃美歌が私の脳裡をかすめます。おばあさんの澄んだソプラノが、今も耳許に残っています。私のたどたどしい指で奏でるオルガンの音色を、信仰を感じるといつも喜んでくださいました。本当に上手に弾けなかったのですが、そのことばが嬉しくて練習を重ね、今も奏楽のご奉仕が続けられているのだと思っています。

おばあさんは、常におじいさんの目となり、手となり、とても自然にいたわりながら導いておられました。そのお二人の姿を目にするだけで、イエス様の存在を確かに感じることができました。

私は針の先でつついたほどの悩みも不安もなく、本当に幸せです。」ご不自由な身でありながら、おじいさんはよくこんなふうにおっしゃっておられました。結婚後、まだ働き盛りのころ、緑内障を患い、視力を全くなくされてしまわれたそうです。

たいへんご苦労をされたようですが、光を失くすことにより、イエス様を見いだし、確かな喜びを得たそうです。先に信仰をもったおばあさんは、夫の導きのために祈り続けていたそうですが、苦しみを通してその願いが叶えられたとのことでした。

お二人はその晩年にも、欠かすことなく礼拝に出席し、聖書を学び、常に祈り続けておられました。私のためにもどんなに多くの祈りをささげてくださったかしれません。そのことを思うと、今でも胸が熱くなります。牧師先生をはじめ、教会を訪れる方々は、その老夫婦の存在にどんなに勇気づけられ、愛で満たされたことでしょう。

お二人が天に召されて、もう十年近い歳月が流れてしまいましたが、今も讃美歌の二八五番のメロディーにあわせて、御国での輝かしいお姿を思い描く私です。  おじいさんは香りのある花、おばあさんは紫色の桔梗がお好きだとおっしゃっていました。




ご協力ありがとうございました。


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