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2012.02.05
幸子伯母*花の想い出
幸子伯母ちゃんが大好きだった花の中に想い出が一杯あります。
伯母ちゃんへの感謝は生涯花の中に忘れません!
ありがとう!ユッコオバチャン。 花の大好きな麻由美より
これは昨日私が送った弔電です。
1月30日 夜 95歳で肺炎のため花の大好きだった伯母がこの世を静かに去りました。
残された子供たち三人と妹に見守られながらの幸せな最後だったようです。
幸子伯母は父の二番目の姉でした。
とても美人で、花をこよなく愛し育てていた私の大好きな大好きな伯母でした。
伯母は私が幼少期より、実家の敷地内に家を建てて住んでいました。
父とは16歳も離れていたので、彼女の四人の子供たちは、いとこと云えども私の幼少期にも既に大人の出で立ちでした。
私の祖父が無類の花好きだったようですが、それを受け継いだ一番の子供は幸子伯母だったと思います。
私も幼少期より花の大好きな子供でしたから、家の庭と続きにあった伯母の庭を行ったり来たりの幸せな日々を過ごしていました。
私に花の知識が少しでもあるとしたら、それは伯母が教えてくれたから・・・
そんな風に思っています。
「幸と名付けられていたら不幸になると聞いたけれど、本当にその通り。私の人生はとても不幸なことが多い。」とそんな心ないことを誰に聞いたのか、幸子(ゆきこ)という名前に不服を漏らしていた伯母だったけれど、確かにお洒落で道楽の過ぎた気難しい夫に嫁ぎ苦労も多かったけれど・・・
果たしてそうかしら?
美人で、優しい子供たちにも恵まれ、着物を上手に縫って着付けもできる才能があり身を立てる事もできたし、何よりも花一杯咲かせられる庭のある家に、認知症もなく90歳以上まで元気に住み続けられたのだから、実は結果的には幸せだったのではないかしら?
* * *
そんな伯母との想い出深い花々は、まずサボテンの花。
数え切れぬほどの種類を要し、丹念に手入れをしていた伯母。
鋭い棘を有していた姿形からは、想像もつかぬほどの美しい花姿を現すサボテンに、子供心に驚きと神秘さを感じ眺め入っていたものでした。
それらのサボテンに、新しい花が咲いたら先ず私に知らせてくれる伯母でした。
それから、大きな木瓜の花木。
子供の背丈を優に超えていた大きな雪洞仕立てに栽り上げていた、杏色と白のまだら模様が美しい色と燃えるような朱赤の二本の木瓜の花。
木瓜は棘があるので、丸い形にここまで仕上げるのは大変だったようで、訪れる人々の称賛を浴びていました。
満開の頃はご近所の方々や知人たちが、わざわざ見に駆け付けるほどの立派な花木でした。
そして、色とりどりのレナンキュラスの小道。
当時はまだ珍しかった花でしたが、果たしてどこからその花芋を入手していたのか・・・
でも、伯母は私にしたら最高に美しい花色のレナンキュラスを前に、「ここに住む前の家で、それは素晴らしい夢のような美しい花色株に仕立て上げたレナンキュラスがあり、多くの人たちが見に来ていたのに、満開のある夜ごっそりそれらが持ち去られ本当に哀しかった。」と、話してくれたことがありました。
幼い私はその話を聞いて心ない悪い人に憤慨したものです。
<花泥棒は罪にならない>ですって!?だれがそんな酷い諺を流布なさったのかしらね!
登り藤(のぼりふじ)と上手く和名で名付けられたルピナスの花。
初めて豆の種を蒔き花が咲くまで、伯母と私はどんなに待ち焦がれたことでしょう!
「今まで目にしたことのないような花の色が咲くからね、楽しみにしてて!」と芽が出てから毎日毎日花咲く日を待ちわびて、見守ったものでした。
初めて目にしたルピナスは、背丈が思うほど伸びなかったけれど、その色合いの微妙な美しさは子供心に天国に咲く花のように思えたものでした。
鮮やかに想い出深い、左右を真っ赤と白に染め分けたアマリリスの小道。
私の顔と同じくらいな大きな百合のような艶やかに彩られたアマリリスの小道を、幼い私は何度往復したものでしょう!
当時はまだ真っ赤なアマリリスは非常に珍しく、本当に新鮮で驚きでした!
夏の朝は窓際に、竹で拵えた格子の支柱にいつも溢れんばかりの朝顔を咲かせて、朝早く私を呼びに来た伯母。
暑い夏の一日のスタートをそれらの朝顔が、どんなに爽やかに約束してくれたことでしょう!
その朝顔が終わった後には、葡萄の美しい葉が一杯日陰を作ってくれていましたっけ。
最もその頃の私には、それから実る甘酸っぱい葡萄の深い紫の房を口にするのが待ち遠しくてなりませんでしたけれどね。
楱山木(たいさんぼく)、別名マグノリアと素敵な名前の付いた大きな花が初めて咲いた時は、喜びを共に味わいいつまでもその花の小さな池の傍で馥郁たる香りを楽しんだものです。
ピンクの大輪の薔薇の花びらの中でお昼寝していた綺麗な黄緑色の雨蛙の姿を二人で見入り「そっとしておこうね。」と顔を見合わせてほほ笑んだことも・・・
ジャーマンアイリスと名付けられた、当時それはそれは珍しい色の花の苗をいち早く手に入れ咲かせてから、皆を驚かせてもくれましたっけ・・・
その頃、アイリスの種類はイチハツと呼ばれた白花のものしか目にすることがなかったのですけれどね・・・
考えてみたら通信販売もなかったあの頃、田舎だったのに何処でそれらの珍しい花々を入手していたのかしらね!?
* * *
大きな瓶の中にたっぷりある花の肥料は、油粕を中心に溶かした伯母の手による自家製でした。細い体でその瓶を抱えながら、いつも丹念に愛情込めて、花々に与えていた姿は忘れられません。
その中身はちょっと臭かったけれど・・・
そんな伯母の姿はごく限られた親族や知人の中にしか残っていないけれど、私にとっては掛け替えのない人、世界中の花愛好家が知るターシャ・テユーダー、その人と同じ存在です。思い返せば、ターシャに似た端正な顔立ちとほっそりとした健康な体つきをした伯母でした。
でも、考えてみたら伯母が一番好きだった花は何か知りません!
無類の花好きな人ほど花の好みがはっきりしているのに、何故なのかとても不思議です。
私のことだから、きっと尋ねたはずなのに記憶がちっともないのは、きっと伯母には答えが見つからなかったからなのでしょう!
私自身にも伯母の花というイメージの固有名詞の花が、全く浮かばないのですもの!
考えてみたら、このことはとても珍しいことです!!!
・・・こうして伯母との花の記憶を辿っていたら涙が止まりません。
今日お見送りにも行けなかったけれど、私はひとり貴女を偲びます。
本当にありがとう!ユッコバチャン!!!
貴女が大好きでした・・・
2012.2.1.PM12:00~ 小出 麻由美