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2006.07.05
水仙の花と花坂先生
<1994年1月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章>
まだ春も浅い肌寒い日、私は思いがけず長女の担任の先生から大きな新聞紙の包みをいただきました。それは、開けると同時に甘い芳香を放つ水仙の大きな花束でした。先生は昔から日本にあるこの水仙が一番お好きで、その群生地を見に越前海岸まで奥様と旅をなさったとのことでした。そして花好きの私のことを知って、わざわざ嵩張る荷物で遠くから春を運んでくださったのでした。 * * 「花咲か爺さんの花坂です。」長女の入学式の日、初めてお会いしたその花坂先生は、自己紹介されたままの温厚なお優しいまなざしで、私たち親子を迎えてくださいました。 私の長女、紫音は障害をもって生まれました。「神さまはきっと紫音に最良の先生をご用意くださる―」その祈りの確信どおり、神さまは思っていた以上に素晴らしい先生がたを備えてくださいました。しかも、その花坂先生はクリスチャンでした。このように、紫音を育てていると、間近に神さまの働きを見ることができ、大きな祝福にあずかり、感謝しております。 先生は教師職に就いたばかりのお若き日に、クリスチャンの父兄から、「神を否定することだけは子どもたちに教えないでください」と請われ、それが教会へ足を運ぶきっかけとなり、受洗にまで至ったそうです。 残念ながら、先生は一年で転任なさいました。私はお別れの日、花屋さんへ駆けつけて、あるだけの水仙を束ねて先生を訪ねました。 * * あれから二年が過ぎました。花坂先生は今日もきっとお元気で、障害のある子どもたちにイエスさまに似たまなざしを送っていらっしゃることと思います。俯き加減に香る、あのいただいた水仙の花を思うたびに、花坂先生のお優しい「馨り」がいつもいっしょに重なります。もうすぐ水仙の季節がやってきます。