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2007.07.06
深紅の薔薇のような女<ヒト>
私が中学1年生の頃に出逢った深紅の薔薇のような女。
清瀬 晴子さん。
美人薄命とはよく言ったもので、50代で、この世を去ってしまいました。
彼女は、私が初めて学んだ茶道の先生。
戦争で満州生活を余儀なくされたようで、そのせいか、どこか異国情緒漂うお方でした。
色白で彫りが深く、瞳と髪の色素も薄く、スタイルも抜群でロシア系の混血の方と言っても頷ける容貌をなさっておられました。
勿論、正真正銘の日本人でしたが。
地元の美人コンテストで選ばれたりもなさっており、当時の写真は銀幕の女優さながらの雰囲気を漂わせておりました。
私は、ただお茶のお作法だけでなく、実に多くの感性をその先生に育てて頂いたように思います。
先生は外見がお美しいだけでなく、実に心お優しく多彩な方でもあられました。
よく少女の私の話にも耳を傾けて下さり、色々なお話をしたものです。
私の詩が、県下の文芸雑誌に掲載された時も、嬉しくて母親よりも先に知らせに走った想い出があります。
お茶のお菓子も時折手作りのものを出して下さり、それがとても楽しみでした。
中でもカスタードプリンは最高で、一緒にお稽古に行っていた友人と、「このプリンで電気釜サイズのものが食べたいね!」何て言ったりしましたが、
「このサイズだから美味しいのよ。」と先生は笑って答えておられました。
大分の銘菓で<荒城の月>という、泡雪の薄皮で白餡を包んだとびきり美味しい和菓子があるのですが、そのお菓子を色鮮やかに紅葉した柿の葉の上に置いて「夕月よ。」とお出しして下さったことが今でも鮮明に残っています。
今もそのお菓子を口にするたび、あの茜色の夕焼け空に浮かぶ美しく美味しい?白い月を想い出します。
まだ、グラタンなんてしゃれた料理が普及してない時、いち早く手料理でご馳走して頂いたりもしましたっけ。
満州で召し使い付きのとても優雅な幼少期を過ごされたようですが、日本に引き揚げて来られた時、全て奪われ大変な時期も続いたようです。
二人姉妹で、先生よりもさらにお美しくて頭脳明晰なお姉様がいらしたようですが、身体が弱く成人するまでに亡くなられたそうです。
そのお姉様といつも比較されながら惨めな幼少期を過ごした上、病弱な故にご両親の愛情はお姉様のみに注がれとてもお寂しかったとか・・・
お姉様亡き後も、ご両親はずっと哀しみに暮れておられたとか・・・
後に背の高いハンサムなお金持ちの英語教師と結婚したものの、姑からかなりひどい扱いを受けて辛い結婚生活が続いたようです。
愚痴はこぼさない方だったのに、その時ばかりは驚くほど饒舌でした。
まだ少女だった私は、よく分かってあげられませんでしたけれど・・・
花が大好きなお方だったので、我が家の庭に咲いた四季折々の花を届けることが、私の大きな楽しみでもありました。
一番お好きな花は、「そうねえ。やっぱり深紅の薔薇かしら?」と答えて下さって、子供心に先生そのものだなあと感じたものです。
気高く近寄りがたい美しさと優雅さ、そして知的さをも兼ね備えたお方。
私が大人になってからこそ、もっともっと色々なお話をしたかったです。
でも、もうじきその頃の先生の年齢を追い越してしまいそうです。
月日の流れを感じます・・・
深紅の薔薇はあの頃と変わらず咲き続けているけれど。
2007.5.18 小出 麻由美
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