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2016.07.21
花のようなお手玉
私が幼い頃大好きだったお手玉遊び。
よく祖母におねだりして、端切れで色んなお手玉を作って貰ったものです。
中身は数珠玉。
私の住んでいる処では、よく畑の畦道などにその数珠なる植物があって、友だちと寄り道しては沢山実を収穫したものです。
初めて、ビーズのような実が葉の間にくっ付いているのを目にした時は、猫柳を見た時と同じように感動的だったのを覚えています。
グレーがかった紫の斑模様がとても綺麗で、ときめきすら感じたものでした。
このお手玉の中身は、数珠だけでなく虫食いの小豆だったり大豆だったりもしました。
手触りが微妙に異なるので、子供の小さな手でもその感触の違いを楽しんだものです。
この懐かしいお手玉を二十年振りに訪ねてくれた従姉が、沢山娘*紫音の為に作ってきてくれました。
従姉は、私の父と二十歳位年の離れた姉の娘で、<千代>という名前です。
その名前のようにまるで千代紙のような綺麗な布を縫い合わせて、24個24種類のお手玉を手作りしてプレゼントしてくれました。
テーブルに並べると、それらはまるで華やかな花のようです。
「これは私の娘の晴れ着の端切れなのよ・・・これは孫の着物・・・このお手玉は二つとして同じ物はこの世にないからね!」
紫音も嬉しそうにそれらのお手玉を触って楽しんでいました。
小さい頃、彼女も遊んだことのある記憶が、蘇ったかしら?
千代姉さんは幼い頃、小説になるような数奇な運命をたどってきた従姉です。
母親が大層美くし優雅で華やかな人でしたが、幼い千代姉さんと妹の二人の子供を残して39歳の時、入水自殺してしまいました。
千代姉さんはその時まだ4歳だったそうです。
父親は詩人の平田露草。
かの有名な画家の竹久夢二と親友で、二人はアメリカにて半年間一緒に生活していたこともあったので、夢二の生涯を綴った本の中にも登場しています。
そこには伯母のことまで触れられており、小さな伯母の丸い墓石(川で亡くなったので、夫がその川から石を拾い名を自ら刻んだものだそうです)の写真まで添えられてあります。<袖井林二郎著*夢二のアメリカ*集英社刊>
母親の死後、子供は自分の親族に預けっ放しで自由奔放に暮らしていた父親も数年後に病死したため、幼くして孤児となった二人の生活は波乱に満ちたものだったそうです。
でも、よき親族やご近所の方々に恵まれて、苦労しながらもそれなりに幸せに過ごせて来たそうです。
千代姉さん自身で10代の時から手に職をつけた方がよいだろうと思い、自分でお金を貯めて和裁学校へ行き、師範の免状を取得するまで頑張ったとのことでした。
その甲斐あって、今まで沢山の着物を縫って生計を立てて来たとのことです。
それでこんな花のようなお手玉が即座に作れるのですね!
学校卒業後、よき結婚相手に恵まれ、子供も三人与えられ、今は岡山にてとても幸せに過ごしています。
今回のこの機会は、千代姉さんの主人が京都に用があったため、二人でこちらに来ることにしたのですが、急遽千代姉さんだけ旅館をキャンセルして貰い、我が家でのお泊りが叶ったというわけなのです。
それで、生まれて初めて二人だけでゆっくり色んなお話をすることが出来ました。
血縁って不思議ですね。
考えてみたら、子供の頃から数回しか会ったことがなかったのに、話が弾んで弾んで、私の知らない親族の話もいっぱい聞けて、とても幸せな時を過ごすことが出来ました。
穏やかで優しさに満ち溢れた千代姉さんは、このお手玉の中にもいっぱいの優しさを封じ込めて帰って行きました。
別れてから、花のようなお手玉を手に眺めていると、何故だか私は幸せの涙がはらはらはらはらと静かに零れる、とても不思議な優しい思いに包まれたのでし
た。
・・・どうぞ、千代姉さん、もっとずっとお幸せでいて下さいね・・・
2016.7.7 小出 麻由美