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2006.08.04
合歓木の花
出窓のあるマンションに住んでいた時のこと。大好きな合歓木の鉢植えを買って来て、その出窓で育てていると、嬉しいお客様が、私を喜ばせてくれました。それは、小さな紋黄蝶。でも、不思議なことに戸を閉めているのに、何処からその来客が訪れるのか分からないまま数日過ごし、喜んで眺めていました。花も毎日、淡い香りのきれいなピンクを咲かせてくれるし、お客様も日に日にふえて、庭がなくても合歓木の花を部屋のなかで眺めら...もっと見る
2006.08.03
サーモン・オレンジのポインセチア
<1994年12月「いのちのことば」表紙によせて掲載された文章>クリスマスが近づくと、お花屋さんの店先は赤いポインセチアの鉢でにぎわいます。深く濃い緑色の葉は平和を、鮮やかな赤い花の色はキリストの流された血を意味するそうです。冬の花だと思い込んでいたこの花を、天国に一番近い島(作家の森村桂さん日く)ニューカレドニアの南の島で、私の背丈以上に伸びた枝にたくさんの赤い花をつけているのを目の当た...もっと見る
2006.08.02
紅いゼラニウム
絵になると、俄然好きになる花が、紅いゼラニウムです。実際、庭に咲かせるのは、白やパステル調の色合いばかりなのですけれど・・・ 私が、画学生の頃、観てきた友人の感激の声にすぐに出掛けたミュシャ展で釘付けになった一枚が、紅いゼラニウムが描かれていた<モラビアン教師聖歌隊>という意味不明な題名のもの。
民族衣装をまとって、長い髪を三つ編みにした少女が片手を耳に当て何かを真剣に聞いている強い眼差し。...もっと見る
2006.08.01
川のほとりの小さな教会の老夫婦
<1994年11月「いのちのことば」表紙によせて掲載された文章>私が初めて足を運んだ教会は、大分の小さな町の、川のほとりの小さな小さな教会でした。そこには、神学校を卒業なさったばかりの若く慈愛に満ちた牧師先生と中学生の少年、そして視力をなくしておられたおじいさんと、少女のような優しい眼差しを残したおばあさんの老夫婦がいらっしゃいました。 主よ、み手もて ひかせたまえ、 ただわが主の 道をあ...もっと見る
2006.07.31
野のゆりを見よ
<1994年10月「いのちのことば」表紙によせて掲載された文章> 野のゆりを見よ 明日のことを思い煩うことなく 今日一日を美しく装う 神の命のままに (マタイ六章からの創作)この箇所のみことばで、次女を宿している時に、神様からどんなに支えられたかしれません。私の長女は、病弱な障害児としてこの世に生まれました。出生からしばらく彼女は生死をさまよい、なんとか一命はとりとめたものの、その後の育児...もっと見る
2006.07.29
フラワーフェアリー
私が十代の頃、某製菓会社にハイクラウンチョコレートというチョコレートがあり、名前の通り高級感ある、当時としては珍しい個々包装で、箱も縦型の子供には少し高価なものでした。その中に、花と妖精の美しいカードが入っていて、それを集めるのが目的でその チョコレートばかり買ったものです。
そのカード絵の作者は、シセリー・メアリー・バーカー。1895年、英国に生まれ、1972年、77才で亡くなりました。沢山の...もっと見る
2006.07.27
少女のころ、秋桜は
<1994年9月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章>少女のころ、秋桜は私の花だと思っていました。私はとても孤独でした。両親は私をとても大切に育ててくれましたし、たくさんの友人もありました。親友と呼べる人すら持っていました。でも、私は孤独でした。人はなぜ、何のために生まれて死ぬのか─目的がわからず、不安で空虚でした。 私は清く正しく美しく生きたいと思いました。そして、そんなふうに...もっと見る
2006.07.26
青い海辺に咲く白百合によせて
<1994年8月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章> 夏に南紀の海辺を旅したとき、野辺のあちらこちらに野趣をおびた清楚な白百合が優しく風に揺れていたのを、この季節になると懐かしく思い出します。そして、ご一緒した大泉さんご家族のことも。 そのころ、ご一家とは同じ教会で、私たち家族は本当にことばに尽くせないほどお世話になっておりました。奥様の静代さんとは、私が独身のころから親しくお...もっと見る
2006.07.25
色褪せることなき一輪の露草に
<1994年7月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章>人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る。 ペテロの手紙 第十一章二四節、協会訳 詩人と結婚した私の伯母は、露草のごとく儚くその生涯を終えました。夫である伯父の名は平田露草。画家の竹久夢二と交友も深く、アメリカで記者として活躍もしたそうですが、その野の花のごとく...もっと見る
2006.07.24
紫陽花と雨の季節に贈られた娘
<1994年6月「いのちのことば」表紙によせてに掲載された文章>
陶器が陶器師と争うように、
おのれを造った者と争う者はわざわいだ。
粘土は陶器師にむかって
「あなたは何を造るか」と言い、
あるいは「あなたの造った物には手がない」と言うだろうか。
父にむかって
「あなたは、なぜ子をもうけるのか」と言い、あるいは女にむかって
「あなたは、なぜ産みの苦しみをする...もっと見る