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2015.02.18

親友のお父様の召天式

2月9日 午後3時40分。
親友のお父様が天へ旅立ちました。
92歳の穏やかな人生を全うされました。
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白い花々で埋め尽くされた清らかな祭壇には、誠実で平和を創り出されたお父様の遺影が優しく飾られていました。

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大分で生まれ育ち、名古屋の大学を卒業なさった後、熊本大学の生産機械工業科教授、工学部長を務め、定年退官後は熊本大学名誉教授となられました。
その後生地の大分にて高度技術開発研究所で所長をも務め上げてから、晴耕雨読の静かな生活を楽しんでおられました。
2012年の9月から、お年を召されたお父様は奥様とご一緒に、二人の娘たちが住む滋賀県の大津市にお住居を移されました。
比良山の眺めを楽しむ日々の中、親友の作るとびっきり美味しい料理をいつも心待ちにし、大変喜んだそうです。
私はそのお父様にお会いしたのは、たった二度だけ。
二十代の頃、夏季休暇中実家に戻っていた親友に会うため熊本へ旅した時と、滋賀にいらしたばかりの時。
だけど、いつも親友から話を聞いていたので、とてもたったの二度だけだったなんて信じられなく思えたものでした。
再会した時には、そのお人柄が全てお顔に現れており、言葉は必要ないくらいの喜びにあふれたものでした。
私にこんな素晴らしい友人を与えて頂いたのは、このお父様あってのことですからね!

白髪で知的さがあふれた穏やかな出で立ちに、聖書の箴言の一節<白髪は老人の冠りである>が重なります。
生徒たちに大変慕われ、偉業を成し遂げても謙虚さ溢れる生き方は、それだけで神様のお喜びに値します。
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召天式にて牧師先生から伺ったお話です。
神様への懺悔が、大学時代の教え子が学費を払えず退学した折に何も手助け出来なかったことだそうで、ずっとそのことが心に残りとても悔やまれていたそうです。
でも、イエス様を信じ告白することにより、神様からの許しを受け取り絶大な平安を得られたと言うことです。

それから、素敵なエピソードとして、授業中居眠りしていた学生の傍に行き、「何故君は居眠りしているのか?」と問うと、その彼が、もうじきマンドリンクラブの発表会があり、練習でとても疲れているとの返答。
そして、「先生もよかったら聴きにいらして下さい。」と言われ、その後、その生徒に招待券を二枚頂き、親友の五つ上のお姉様とご一緒に聴きに行かれたとのこと。
そこでお姉様が初めて耳にした美しい音色のマンドリンを大層気に入り、マンドリン購入の為にその生徒さんにご同行願ったということです。
お姉様はそれを機に、マンドリンが生涯の喜びの楽器になるほどお気に召されたとか。
(ご自分の結婚式にもウェディングドレス姿で、マンドリンを演奏されたという素敵な話を親友から聞いたことを思い出しました。)

牧師先生の素晴らしいメッセージの中に初めて伺うお父様のエピソードが一杯で、涙、涙の感動的な召天式で、私は今まで味わったことのない深い深い神様の摂理を感ぜずにはいられませんでした。

お父様は幼い頃教会の日曜学校に数回足を運んだ経緯はありましたが、真に神様の存在を受け入れたのは親友の導きによるものです。
昨年の7月2日 無事洗礼を受けられました。
それから、より平安に満たされた静かな余生を過ごされたそうです。
「主我を愛す」の賛美を殊のほか喜び愛唱され、親友が歌っているのを聴くことも大好きだったと聞いています。
彼女の美しいソプラノの賛美に、安楽椅子に静かに横たわり耳を傾けるお父様の姿が目に浮かぶようです。
甘い物が大好きで、食が衰えた時も最後に親友が作ったおぜんざいを大層喜び、全部召し上がられたと言うことです。

そして、最後の言葉も静かに「ありがとう」だったそう・・・
<人は生きてきたようにしか死ねない・・・>とは良く耳にする言葉です。

そんなお父様の話を聞き、その言葉の重さを肌で強く感じた私です。
この世でのクリスチャン生活は僅かで、人への福音の種蒔きは生存中にはできなかったけど、素晴らしい召天式で多くの福音を聞いたことがない方々に種蒔きされたことが、友人にとっても「父らしい・・・」と、とても慰めとなり大きな喜びとなったようです。

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<聖書から マタイ5章8~9節>
心のきよい者は幸いです。
その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。
その人は神の子どもと呼ばれるからです。
2015.2.11     小出 麻由美

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